冬山合宿 西穂高岳
期日 2006年12月23日〜24日 メンバー 田中 工藤み 長澤 西方 大屋 四條(記録) 行動記録 12/23 富士宮発6:35 新穂高温泉10:30 西穂高口11:00〜11:50(昼食)
12/24 テント場発6:40 独標8:00 西穂高岳9:45〜10:00 |
12/23(晴のち曇夜雪) 新穂高温泉の駐車場に着いても、雪は全く無かった。駐車場には車が数台あるだけで、がらんとしていた。新穂高ロープウェイも空いていて、前方ベンチにみんなで陣取って外を見るも、ガスっていて視界無し。西穂高口に着くとさすがに外は銀世界。70?のザックを背負って歩くのは、実は今回が初めて。頭の後ろまでリュックが伸び、首をまっすぐに出来ない。西穂山荘までの道はよく踏み固められていて、70?15kgの荷も苦にならず、いつものペースで歩くことができた。 12/24(晴) 昨夜一晩中吹き荒れていた風雪は、朝には止み、快晴となる。出発するころには夜も白々と明け、ヘッドランプをしまう。私たちの前には、カメラザックを背負った男性単独者のみが歩いていた。西穂山荘の脇を登った後、巻くのか直登するのか分かりにくく、紀代さんが赤布のついた竹竿を刺す。カメラザックの男性はこのあたりで立ち止まり、私たちが先行する。ピラミッドピークあたりで、鉄兜のような形をした黒いヘルメットを被った二人を含む、四人パーティー(男性3、女性1)が先行した。ペツルのハーネスには豚鼻の確保器やらカラビナやスリングをいっぱいぶらさげていた。その辺りを見るとガイド登山かなと思ったが、野武士が被る鉄兜のようなヘルメットは正体不明といった感じ。彼らはどんどん先へ進んで行った。 独標を越えると、いよいよROCK& SNOWの世界。今年は積雪が少ない分、岩の露出が多いのではないだろうか。風上の西側を巻く時は、すっぱりと切れた雪の斜面に岩があちこち出ていて、滑落停止はどうすればいいのかと思ったりもしたが、ここでは落ちたら、まず命は無いと考え、慎重に岩に手を掛け、岩元の僅かな足場にこれまた慎重にアイゼンを置いた。チーフリーダーの田中さんが、独標を過ぎたあたりで、アイゼンの出歯を使って岩を登ったことがあるかと私に聞いたのは、こういうことだったのかと、一人、合点しながら、田中さんの後をそろりそろり付いていく。 |
アイゼン装着でのクライミング経験は、今年の8月、三つ峠でクライミング講習を受けた時と、スイスアルプスのポリュックスとモンテ・ローザ(デュフェールシュピッツェ)を登頂したときにある。しかし、三つ峠ではトップロープで確保されていたし、スイスでは屈強なスイス人ガイドとロープを結んでいた。確保されていると、自分の力を目いっぱいに、時にはそれ以上に大胆な動きができるが、今日は違う。あくまで自力だ。精神的な甘えは許されない。でも、この精神的自立こそがステップアップになる。そこが、ガイド登山と山岳会の山行との大きな違いだと思った。 さて、次に田中さんが言うには、西穂山頂直下にスラブがあるらしい。スラブと言うには、雪が付いていないだろうか、それとも雪が氷化しているのだろうか、私は一瞬言葉に詰まった。どうやって登るんだろう。スラブには雪がたっぷり付いていた。これは新雪合宿で、富士山山頂直下を登った経験が役立った。紀代さんに教えてもらったピッケルの先を雪の斜面に刺して確保しながら、両手両足を使って登った。このスラブで、先行していた鉄兜隊の下りとすれ違った。 西穂高山頂からの眺めは素晴らしかった。360度の展望だ。素晴らしい快晴で、青く澄んだ空には、掃いたような雲が2,3あるだけだ。真っ白な穂高連峰の山々の向こうに小さく槍があり、振り向けば、八ヶ岳が白くてかっている。雲の上に浮かんでいるのは御嶽だという。遠く富士山も薄青色にその姿を見せている。カラパタールやレンジョパスからの360度のクーンブヒマールの展望にも感激したばかりであるが、この景観も負けてはいない。ヒマラヤの山々は荒々しくダイナミックな魅力で迫ってくるが、西穂高山頂からのこの眺めは、端正な美しさ。男性的な魅力対女性的な美しさと言ったところかな。 |
15分ほどこの眺望を楽しんだ後、続々とやってくる登頂者に場所を譲って下った。ピラミッドピークまで気が抜けなかった。その後の広い雪の稜線歩きは、吹く風も心地よく、素晴らしい天候に恵まれた今日の山行に心も満ちていた。 上りのロープウェイでは全く無かった視界が、下りでは素晴らしい風景があった。樹氷が美しく並ぶ向こうに、澄んだ青空に白く輝く西穂高がピラミダカルにそびえていたのだ。まるで日本画の世界だ。その神々しさ、そしてその山に登ったことを思って、しみじみと見入っていた。
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