エルブルース(5642m ロシア)

期日     2008年7月28日〜8月7日(11日間)

メンバー   工藤    四條 (記録)   他8名   

行動記録  7月28日  成田〜モスクワ(泊)   
           29日  モスクワ〜ミン・ボディ〜テレスコル(泊) <登山基地へ移動> 
           30日  テレスコル(2200m) ⇔ バレス小屋(3800m) ⇔ プリュート小屋(4200m) <高所順応>   
           31日  テレスコル〜バレス小屋(泊) ⇔ プリュート小屋<BC小屋へ移動・高所順応> 
        8月  1日  バレス小屋(泊) ⇔ パスツーコフ岩(4800m) <高所順応>
            2日  バレルス小屋(泊) ⇔ エルブルース(5642m) <登頂日>
            3日  バレルス小屋〜テレスコル(泊) <登山基地へ下山> 
            4日  日程調整日  午前 チェゲット山  午後 花の美しい谷へハイキング  テレスコル(泊)
            5日  テレスコル〜ミン・ボディ〜モスクワ(泊)
            6日  午前 モスクワ市内観光  午後 モスクワ発  機中泊 
            7日  成田着

2006年のキリマンジャロ、2007年のアコンカグアときたら、2008年はエルブルース。登山愛 家としては、ここまで登ってみたい。

  エルブルースは、コーカサスの主脈からバクサン谷をはさんだ北側に独立峰として聳え、西峰 (5642m)と東峰(5621m)の2つのピークから成っている。コーカサス山脈は、ロシア共和国南部、 黒海とカスピ海にはさまれた地域で、全長は東西に約1500Km、ロシア・グルジア・アゼルバイジ ャンの国境を成している。山脈中央部は、標高5000mを越すピークが集中している。

7月28日(月)  成田〜モスクワ(曇)
  12:00成田発予定のアエロフロートは24分遅れで離陸。まずは順調なスタートだ。
  モスクワ、シュレメチェヴォ空港周辺は成田と違う美しさがあった。とにかく、森が多い。ロシア 人ガイドの話では、ロシアの65%が森だそうだ。川のぎりぎりまで木が繁っている。道路は森に 一筋の線を引いた様で、左右の見通しはきかない。住宅や畑が道に面していても、その間に木 が繁り、道路からの視線をシャットアウトしている。下に降りてから、その森の木に白樺が多いこ とが分かった。美しい。
 入国審査は窓口が少なく、何と2時間半もかかった。中国人が集団でどんどん割り込んでく る。これが国際空港の窓口かと唖然とする。
 モスクワは寒かった。例年より寒いようだ。曇りがちの天候のせいかもしれない。

7月29日(火)  モスクワ(曇)〜ミン・ボディ(曇)〜テレスコル(小雨)
    コーカサスの玄関口、ミン・ボディへは、モスクワから空路国内線で約2時間。ミン・ボディ空港は、田舎の空港である。ここのトイレはペーパーがドアの外に付いていた。空港建物からバスが駐車している所まで、100mくらい各自、登山荷物を担いで運ぶ。カートなどここにはないのだ。南下してきたせいか、モスクワより暖かい。ここから車で4時間で、登山基地となるカバルディノ・バルカリア共和国のバクサン谷の最も奥の村に到着する。
  ミン・ボディ空港を出ると、ニッサンや三菱、ヒュンダイ、ヨーロッパ系の車のショールームがわずかに華やかさを演出する。その後は、屋根の低い質素な民家がパラパラと建ち並ぶ。夏の草花が、これも薄紫や白の淡い地味な色調で、それでも短い夏の到来を演出している。民家は古びている。草原のような牧草のような使い道のはっきりしない空間が続く。田舎なのに、自然の潤いある豊かさが感じられない。
  高速のような道路から一般道のような道に入り、かなり走ると、並木の向こうに一面ひまわり畑が広がる。バスでずい分走っても続いている。ソフィア・ローレンのひまわりが話題になる。とうもろこし畑、麦畑も広がる。大々規模だ。

  シシカバブのドライブインに寄ってランチ。パンと鶏肉の焼いたのがどっさり出された。結構おいしかった。
  小さな雑貨屋が2軒並ぶ所でバスが止まった。オーバーヒートだろうか、すごい煙だ。ファンベルトが切れたようだ。バスにハングル文字のシールが貼ってあった。よく見るとオンボロバスだった。運転手と助手がバッテリー液を3本入れて、何とか走り出した。使い終わったバッテリー容器は、雑貨屋の前の小川の辺りに捨てられてあった。その周辺にもごみが落ちていて、小川には黒緑色の藻が発生していた。

  山道に入ると、パイプラインが目立つ。あちこちに延々と敷いてある。ロシア人ガイドに聞くとガスパイプとのこと。寒い冬の燃料だろうか。辺りの山には、ほとんど木がない。大昔に切りつくされた感じがする。ビルのような集合住宅が建ち並ぶがひどく古く傷んでいる。日本ではとうに寿命がきていると思われるものだ。森や草原がだんだんきれいになってくる。
  テレスコルのウォルフォームホテルは、スキーリゾート地の簡易リゾートホテルといった感じで、ここの備品は木製手作り風のベットとサイドテーブル二人分、テーブルと椅子二脚、コップ2個だけ。それでもベランダがあり、ぬれた物を干すことができる。日曜日には、フロントが閉鎖されるとのこと(客がいても)。
  夕食は、別棟の食堂に用意されていた。スープにパン、炊き込みご飯風のピラフ(日本人に合う)、デザートにバナナ、チョコヌガー(これらは明日の行動食として持ち帰った。)、レモンティー。レモンティーがなぜかおいしかった。

  夕食後、ロシア人メインガイドのウラジミールが日本人ガイドの北村さんと装備点検に部屋にやってきた。特に問題はなかったが、ゴーグルは持ってきたほうがよかったかも。それと手袋。3枚重ねにするということでOKとなったが、結果的には、家に置いてきた羽毛の手袋を持ってくればよかった。エルブルースを少し甘く見ていた所があったかもしれない。

7月30日(水)  テレスコル(雨)⇔バレルス小屋(曇)⇔プリュート小屋(曇)
  朝から雨。そのせいか部屋の中は案外暖かく、暖房は入っていない。お湯は出る。
  8:00朝食後、9:06雨具を着て、ホテルより出発。ホテルからロープウェイの始発駅までワゴン車に分乗する。ロープウェイの終点駅・ミール駅(3500m)に降りると寒い。フリースを着、スパッツを着け、目出帽をかぶり、サングラス、フリースの手袋、オーバー手袋を着けて雨の中を出発する。ゆっくりしたペースだ。ロープウェイ終点駅からバレルス小屋へのルートは富士山のような石礫で、植物はマーガレットの仲間が一種類だけ、けなげに白い花を付けていた。雨に濡れて花びらがベトッとしていた。左手に氷河があり、クレバスもあった。結構大きく開いていた。バレルス小屋まで54分で着いた。予定では、今日はここまでであったが、10分程休憩して小屋には入らず、更に上のプリュート小屋をめざすことになった。みんなの調子がいいようだ。エルブルースを目指す人にとって、富士山程度の高度では何ともないのだ。雨は上がり、しかし雲は切れない。

  雨が上がってくると、この服装ではあつくなってくる。雨具の上はぬぎ、上は半袖Tシャツとフリースのみ。目出帽の上に日よけ帽、オーバー手袋はしまう。ほとんど傾斜を感じないゆるやかな雪原をゆっくり一列で登る。
  12:00頃、雪原の真っ只中で休憩。ここにきて風が出てきた。寒い。先ほどまでの暑さはどこえやら、雨具の上を着込み、日よけ帽の上からフードをかぶる。暖かいお湯が体にしみ渡る。下では甘すぎるヌガーが、ここではおいしい。 

 
   再びゆるい雪原を登っていくと、新しいプリュート小屋が左手に見えてきた。石造り風の味のある外観だ。右手に火事で焼けたというふるいプリュート小屋跡がそれらしい残骸を残している。新しいプリュート小屋下50mくらいに青いテントがポツンと一つ張ってあった。プリュート小屋までいままでより急斜面を登る。いままで雪上車道をきたのだが、それをそれて直登に近い状態で登る。プリュート小屋のレベルまで登ると、小屋と反対の右手の岩場に向かい、風を避けて岩陰で休憩。機内食に付いていたインスタントコーヒーと夕食のデザートだったバナナをいただく。20分休憩後、ミール駅目指して下山する。雪はかなり腐って、所々水となって流れているところがある。北村ガイドはここでもペースをゆっくりとる。

  プリュート小屋でもバレルス小屋でも、小屋の増設工事中だ。グレーの箱型の味気ないものだ。ミール駅でもショベルカーが動き、どこそこ工事中。中国と同じようにここも変貌をとげつつあるのだろう。
  ミール駅で、上着や目出帽、手袋をとり、ロープウエイに乗り、中間駅の展望レストランに途中下車し、ランチをとる。ここのトマトときゅうりのサラダがおいしい。水のペットボトルにはロシア語でエルブルースの商標ラベルが付いていて、みんな記念に写真をとっていた。

  ウラジミールより登山靴やサングラス等の不備を指摘され、レンタルしなければならない人が少なからずいたようだ。九州大分より参加した人は、Kランドのスパイダーの靴を持ってきたが、それは不可だった。プラブーツのレンタル料はかなりの出費になり、予想外の人がいたようだ。ロシア人の狡猾が漂ってくる。(と、このときは思ったが、アタック当日は、山頂付近は猛吹雪で、厳冬期の冬支度が必要だった。)。靴の不備を言われた山岸ガイドグループの男性は、登頂日はアタックしないと、はっきり夕食の時言った。ここまで来て、こんなにあっさりあきらめられるのだろうか。私には理解しがたい。

7月31日(木)  テレスコル(雨)〜バレルス小屋(曇) ⇔プリュート小屋(曇) 
  今日も朝から本格的な雨。朝食に鶏肉のピカタが出て、「朝から豚カツだ。」と、みんな驚いていた。パンの付け合せに昨日はチーズだったが、今日はいくらが出た。オートミールがゆに混ぜて食べたらおいしかった。

  雨の中、始発駅に着き、ロープウェイに乗る。山道具とバレルス小屋3泊分の荷物を各自で持つ。ミール駅に着いても雨は一向に止みそうもない。雷さえ聞こえてくる。ミール駅からバレルス小屋まで、昨日歩いた所を、今日は荷揚げがあるのでリフトに乗って行くのだ。雷雨のためリフトが動かず、1時間以上待つ。駅の下に喫茶室があり、そこで休んでもいいということで、ほとんどの人が降りて入った。ミルクコーヒー一杯30ルーブル(約150円)、クレープ練乳がけ50ルーブル(約250円)。コーヒーを飲み終わらないいうちに、ウラジミールが呼びに来た。小ザックを抱えてリフトに乗り、もう一つの荷物は、食料等共同装備と一緒に北村ガイドと男性二、三人が残って、後からリフトに載せてもらって上げた。先にリフトに乗った人たちで、リフトに載せられた荷物を手渡しで降ろし、バレルス小屋までみんなで運んだ。小さな坂道を登ればすぐ小屋だ。    バレルス小屋の中は暖かい。ベッドはきしんでいるが、3800mの山小屋としては快適だ。電気オイルヒーターがある。

  リフト待ちで時間を要したためか、今日の高度順応は、昨日と全く同じプリュート小屋(4200m)までだ。昨日と同じゆっくりペースだ。予定通りであるが、もう少し上まで行きたかったところだ。
  夕食後、食堂小屋からNo.4の女性6人小屋にもどってしばらくしてから、日本人ガイドの北村さんと山岸さんがやってきて、明日プリュート小屋まで雪上車を使えば、朝もう少しゆっくりできると言う。No.2の」男性小屋の人たちは、賛成したそうだ。ただし、一人400ルーブルか22米ドルかかるというのだ。アタック前に体力を消耗しないためにも、その方がいいだろうということで、No.4の女性メンバーも賛成。この後、No.8のミックス小屋に聞きに行くと言う。その結果、明日は、すでに二度昇ったバレルス小屋からプリュート小屋間は、雪上車を使うことになった。

8月1日  バレルス小屋(曇)  ⇔  パスツーコフ岩(霧)
  5:50起床。昨晩は、雷・雨・風がすごかった。嵐が吹き荒れていた。朝になって雨は止んだが、ガスがかかって視界がはっきりしない。朝ゆっくり出た方がいいという昨晩の判断は、エルブルースの気象を知り尽くしているウラジミールの判断だったかもしれない。
  7:00 朝食。8:30 バレルス小屋発。女性は屋根付雪上車、男性は吹きさらしの雪上車に分乗してプリュート小屋まで乗る。その後は、ホワイトアウト状態の中を一列になってひたすら登っていく。風があるが、けっこうぬるい。冷たさは感じない。岩まで途中一回休憩した。このとき、手袋はフリースのみ。その後冷たくなり、岩の所でオーバー手袋をしたらちょうどよくなった。

  パスツーコフ岩付近(4800m)で、お湯を飲んだりして休憩後(10:30)、すぐ下山にかかる。相変わらずの風だ。プリュート小屋にトイレ休憩に寄る。(11:10〜11:40)。バレルス小屋に戻ったのが、12:08。13:00から昼食。温かいボルシチにきゅうりとトマトのサラダ、スウィート、紅茶、それからガイドが日本から持参したみそ汁、こんぶ、梅干が出た。
  午後は、小屋内の女性同志情報交換したり、荷物整理、明日のアタック準備をする。18:00から夕食。20:00には寝た。

8月2日  バレルス小屋  ⇔  エルブルース(曇 強風)
  0時頃、トイレに起きると星が一つ見えた。風はあるが雨はない。空気は暖かい。
  1:00起床。2:00朝食、日本から持参のきつねうどんのカップ麺、その他もろもろ。
  3:00雪上車に乗って出発。屋根があるのが有難い。この時間、吹きさらしの雪上車にじっと乗っているのは、すごく寒いらしい。パスツーコフ岩付近(4800m付近)に3:30に到着。ここからいよいよアタックだ。
   夜明け前のまだ暗い中、ヘッドランプを頼りに、列を作って、まず東峰を目指して登る。サドルに向かって左にコースを変えていくのだが、暗闇の中、ひたすら列を作って登る。夜が明け、場所はサドルの手前だっただろうか、先頭を歩いていた二人のやや高年女性が、「このペースでは登頂できないので、ここで下山してください。」と北村ガイドから宣告された。暗闇の中、各自のペースで登るのは危険なので、ペースの遅い彼女たちを先頭にして、彼女たちのペースで全体が離れずに登ってきたのだが、これからもこのペースでは、時間切れとなってしまうということだ。一人は素直に従って下山したが、もう一人は、何と後からずっと遅れても一人で付いてくるではないか。北村ガイドに再三言われても、彼女は付いてくる。私もこんな人は初めてだ。ついに、北村ガイドの方が諦めて、彼女用にスタッフ一人を付けた。聞けば、彼女はアコンカグアでもこのような大胆な根性で登頂したらしい。下山するときは、二人のスタッフに抱えられて降りたとも・・・。何ともすさまじい人がいるものだ。

  この地域は天候が不安定で、ほぼ1週間周期で天候が変わるようだ。悪天候になった場合は、台風並みの強風や地吹雪、雷雨や濃いガスに見舞われることがあるそうだ。どうやら今日は、強風、地吹雪、濃いガスに当たったらしい。
  サドルで休憩したときだろうか、冷えた体がテルモスの温かい飲み物を欲したが、栓が凍りついてまわらない。もどかしくなった私は、ついうっかり素手になって回そうとして大変なことになった。手がこわばって凍りついたのだ。私はあわてて、手が凍りつくのを食い止めようと両手同志をぶつけ続けた。すごい恐怖だった。たたいてたたいて、やっとこわばりがとれた。
  天候は、どんどん悪くなっていく。地吹雪になってきて、前の人を見失わないよう必死で登る。周囲の景色は全く分からない。時計を見る余裕もない。右手がスッパリ切れた斜面に付けられた細い踏み跡を登っているとき、雪面が凍り付いて、何とピッケルがはね返るのだ。目の前にいた紀代さんが凍りつく前に空いた穴から穴へピッケルを差しながらピョンピョン進むのを、私もマネしてピョンピョン急いで移動しては進んでいった。三人に一人付くはずのスタッフなんて、紀代さんと私の周囲にはどこにもいない。  

    あとから考察したのだが、スタッフの見守りも助力もなく登頂した女性は、私達二人だけのようだ。静岡の女性は強いと言われもしたのですよ。落ちたらサドルまでまっさかさまか、途中のクレバスに飲み込まれてしまうだろう。恐怖を感じているひまはない。とにかく前の人を見失わないで付いていくことだ。凍りついた急斜面を脱出すると、広い緩やかな斜面になり、頂上に向かっている人が見えた。5500mを越えているだろう。体を冷やし消耗した体に、息が苦しくなかなか進まない。8:35 やっとたどり着いたエルブルース山頂。しかし、この時が一番天候が悪く、地吹雪が吹き荒れていた。独立峰のエルブルースは、富士山のような風が吹くのだろう。凍りついた山頂のモニュメントのようなものに触っただけで、つまり、タッチした程度で、もう下山。山頂からの景色を楽しむなどとは程遠い状況だった。でも、登頂者は私たち日本人以外にもけっこういるのだ。みんなで登れば恐くないということだろうか。    下山の時も濃いガスの中、ひたすら下った。パスツーコフ岩下の雪原に出ても濃いガスがあり、2,3日前から一人行方不明になっているという話を聞かされた。

  ガスがとれてきたのは、プリュート小屋を下ってからだろうか。正午はとうに過ぎ、バレルス小屋が見えるあたりから雪が腐り、さらに水となってあちこちに流れ出てきている。雪のいい所を探しながら下る。15:10 バレルス小屋到着。
  私たち北村ガイドグループ10人中登頂者8人(男性3人 女性5人)。山岸ガイドグループ8人中登頂者5人(3人は最初から登らなかった。 男性4人 女性1人) 二人の日本人ガイドがバレルス小屋前で話していた。登頂率がよくてよかったと。私は、二人の日本人ガイドに、途中で登山中止にしなかったことに感謝した。登山中止になって登頂できなくても、多分、二度とここには来ないだろうから。(来たくないのではなく、まだ、行きたい所がいっぱい残っているので。)    みんなが下山し、夕食を待つ頃、何と今まで見えなかったエルブルースの西峰・東峰が雲の上から顔を出しているではないか。みんな、カメラを持ち出してシャッターうを切った。

8月3日   バレルス小屋〜テレスコル (晴) 
   昨晩は疲れ果てて、夕食もそこそこ、片付けもそこそこで寝てしまった。
   5:00頃目覚めると、他のメンバーも起きだし、パッキング。昨日より天候はよさそうだ。<br>    エルブルースがはっきり見えていた。ルートさえ見える。山頂付近は雲の流れが速い。バレルス小屋付近は風はないが、山頂付近はありそうだ。雲の切れ間をぬって写真をとる。
   下りのリフトでは、写真をとれるゆとりの天候だ。バレルス小屋までの観光の人が上りのリフトに時々乗っている。ハイヒールの人もいて、夏の富士山観光のようだ。今日は、日曜日ということでロープウェイが混んでいる。

   結局、ロシアに着いて登頂の日まで、悪天候のサイクルだったのだ。下山後から、天候のよい周期になったという訳だ。この日、多くの人がエルブルース山頂をめざして登っていった。                                                   (記 四條)